街の歴史 2016.08.14 UpDate

SUNDAY AUGUST 2016

これを読めば宝塚がわかります!~宝塚の歴史とこれから~

宝塚は非常に歴史の古い町です。

宝塚には200を超える古墳が存在しており、その歴史の古さを物語っています。

宝塚古墳1

縄文・弥生時代から多くの人々の営みがありました。宝塚の「塚」は古墳を意味します。その昔、この塚のそばでものを拾うと必ず幸せになれると言い伝えられたことが地名の由来とされています。

やがて、時代と共に農耕が盛んになり、17世紀後半頃から山本地区では植木産業が本格的な発展を始め、今でも日本で3本に数えられる植木産業の町となっています。

山本 植木
江戸時代には「小浜宿」と呼ばれる宿場町が栄え、小浜の旧街道沿いには今でも多くの寺社・文化財がございます。

明治時代には武庫川沿いに温泉が発見され、明治の末には箕面有馬電気軌道が開通。後の阪急電鉄です。
この阪急電鉄の創業に尽力したのはかの有名な「小林一三」、阪急東宝グループの創業者です。小林一三は阪急電鉄を開通させた後、さらに新たな温泉をを開業させ、一大温泉観光地を作りました。さらにさらに、宝塚少女歌劇(現在の宝塚歌劇)を誕生させました。

歌劇小林一三小林電車

昭和時代の一大観光地としての「宝塚ブランド」と築き上げたのはまさに「小林一三」の功績にほかなりません。
ちなみに、「小林一三」は元テニスプレイヤーで現在はスポーツコメンテーターとして有名な松岡修三さんの曽祖父にあたります。
実は松岡修三さんは阪急グループの御曹司さんでございます。

松岡修三

話を元に戻しますと・・・
観光地として栄えた昭和の時代が終わり、平成に入るとバブル景気の崩壊から日本経済の長期的な低迷期に入り、徐々に観光地としての色を失っていきます。日本全体的なことですが、都市部集中的な経済形態と人口推移が顕著になり多くの過疎地とベットタウンが生まれました。
宝塚市も例外ではなく、東に大阪、西に神戸を有し、さらに北に位置する三田市には多くの企業が参画するビジネスパークが建設されたことにより、観光地からベットタウンへとその街の色を変えていきました。

現在では、古き良き歴史と観光地としての風光明媚さを残しつつ、各地へのアクセスの利便性の高いベットタウンとして非常に人気の高い街として年々人口は増加傾向にあります。

全域
街中では多くの再開発が行われ、山手でも新たなニュータウン開発も進んでおり、更なる街の発展が見込まれます。
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